一本のラインに、こんなに全てを出しきって登ったのはいつ以来だろう。 間もなく20年近くが経つが、容易に思い出せる登攀は、クライミングを始めて、2〜3年のころ登った、二子の悪魔のエーチュードをOSしたときの記憶ぐらいだ。あの時も僕は、出せる力を全て出し切り、大きく張り出したコルネに必死にしがみつき、レストした覚えがある。 そして最後は、終了点のロープを握り、クリップした様な気がする。 今から考えると、オンサイトとは言えなかったかもしれない。まだまだ、フリークライミングのルールを良く理解していなかったし、その意味を解かれたところで、理解できる程の考えも持たず、ただただ、上へ向かって登ることしか考えていなかった。 しかし、空間をぶら下がって降りてくる時の感動は、恐怖と混ざり合い、より一層興奮したことを思い出す。
普段、高グレードのボルトラインを登るとき、ランナーへのクリップ動作は5秒と考えている僕にとって、RPで大切なのはリズムだと思っていた。 しかし、NPラインにおいて、リズムでPをセットすることはあり得ない。全てを確実に行い、前進しなければ生命に係わってくる。それはとても自然で、自由なことなのだが、最近になってようやく気付いた。ずいぶんと遅すぎたが、気付いてよかった。
「トワイライト」は僕にとって最高のラインとなり、最高の思い出となった。 3日目、全4トライでのRPだったが、その1本は、登りきるまで40分ほどかかり、3回も(3箇所で)諦めかけた。 自分で自分を励まし、挫けそうになりながらも、持ち応え、恐怖を感じると、左肩から右に下がっている残りのカム達と相談しつつ前進する。 クラック内に滑りを感じたときも諦めかけ、「勝手に体が落ちるまでは、我慢しよう」と耐えた。その内に頭は冷え、弐の腕のストレスも回復し、徐々に恐怖が消え、ラマーズ法?(みたいなリズムの呼吸)で呼吸を整え、フェイスムーブで切り抜ける事を思いつき、ムーブを組み立て前進した。 今までのいろいろな経験や、いろいろな人の言葉が、頭の中を駆け巡りRP出来た1本だった。 35m程のこのラインには、いろいろなエッセンスが含まれ、随分試された気がするが、その分、クラックに対し又一歩前進でき、薄皮が一枚剥けたに違いないと自分自身感じる(実際あちこち切れていて、降りて来た時にシャツは血だらけだった…(笑)) そして何より、レッジに立った時、自然と歓喜し、涙が出そうになるほど感動した自分に驚いてしまった。 レッジにいる間も、降りてくる時も、ずっと「出しきった、嬉しい、やったー」を何度も何度も叫んでいた。 興奮は、30分は続き、多弁症になっていた。
落ち着きが戻ったのは、「調和の幻想」を1P登ったころだった。U2が2P目を左のルーフハングのバリエーションで登り、その後のピッチは全て僕がリードさせてもらった、お蔭で(以前1・2ピッチはOSしていたため)すべてのピッチでOSしたことになった。 5P目は40m近くあり、スタートから15m程ランナウトとなるため、クタクタの体で、かなりひ弱ったが、どうにか死なずに済んだ。
闇の中のラッペルを6回繰り返し、地上に立った時はホッとした。 駐車場を出て200mも行くと、以前会ったことのある巨大な黒々とした牡鹿が道を塞いでいた。彼は一瞥してから、ゆっくりと森へ消えたが、「登らせてやったんだぞ」と言われているようで、デイタラボッチの様に感じた。
今日1日の出来事は、全てが夢のようだった。 「トワイライト」も、夕日の中登った「調和の幻想」も永遠に忘れないだろう。付き合ってもらったパートナーには感謝したい。 -----------------------------7da5dc460124 Content-Disposition: form-data; name="image"
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