年度が変わり、一気に冬眠から覚めるように仕事のテンポが上がり、事務量が倍になり忙しくなる。勤務中は遅くまで起きていることが多くなり寝不足が続く。 帰宅し、昼寝から眼をさまし、薄暗い中たまには走ろうと思い、音楽携帯を首にかけ、近くの公園に出かけた。目標は10km。 音楽携帯をリピートに設定し、一周1kのコースをゆっくりと走りはじめる。一曲あきると次の曲に進め、キロ6分のラップでゆっくりジョグする。体がクタクタであるせいかだろうか?同じ曲を繰り返し聴いているせいか?知らずしらず4キロも走ると、僕のハードディスクがデフラグを始めていたようだった。周りの景色は目に映るだけで、どんどん流れていき、頭の中は全く違うことを回想していた。ラップは1キロごとに30秒刻みでタイム縮めている。トリップ状態となり消化出来ない普段の些細な出来事を消化している様に比較的マイナスイメージのシーンがでてくるせいか、悔しさとともにさらにタイムは上がって行ってしまった。ラップを刻み7回目3“46”で周り、嘔気とともに終了した。 回想中、このあいだ雨の中ひとりで岩を眺めに行った障子岩の事も思い出した。 それはマイナスイメージではなく、心に引っ掛かっているエリアとして出てきたのだろう。 雨の中、一人で岩を長い間眺めていて、ひとつ感じたことがあった。この岩に来る度、他のエリアとは若干違うものを感じていたが、自分自身それが明確に何かは、解らなかった。正確には今もそいれが何なのかは分からない。全てのラインに言えることではないからだろう。しかし、以前は恐いと思ったそれに惹かれるように、少なからず変化している気がする。 それは比較的古いラインにある特徴だろう。 云い現わすならばそれは、「岩に対する、クライマーの真摯」といったものか?今風に言うと「トラッドクライミング」に近いもの?に感じた。ランナウトや石灰岩でのNP使用もその一つであろう。 僕は雨の中しばらく岩を眺めていてそんな風に感じた。 今後、このすばらしいエリアをリピートするには整備が必要だろうが、行き過ぎた整備を避け、ここの魅力は残しつつ、障子岩エリアのその魅力を体感したいと想像し、ウズウズしてしまった。 |